
知らぬ間に、こんなコスチュームがワタシの持物になっている。
英国Barbourの衣類はフライフィッシングをするときの重要なファッションのひとつなのですが、こんなの着て釣りをするのは、なんだかコスプレみたいな感じで、ちょっと恥かしいですね。
サカナ釣りをするときには、いろんな帽子をかぶります。
ベースボールキャップ、ハット、ハンチング...
帽子は、アル意味、その人の自己主張のあわられではないかと...
ハンチングといえば、以前のことですが、ハンチングをかぶって釣りをしていたら、こんな風なことを言われたことがあります。
「ハンチングか。ハンチングといえばジャズだ。ジャズといえば反骨精神の固まりだ。ゆえにハンチングは反骨精神の象徴だ。」
記憶は定かではありませんが、およそこんな感じの内容だったと思います。
「反骨精神」といえば「ツッパリ」を連想します...
「ツッパリ」といえば「アイデンティティを貫くために、権威や権力など自分よりも強いものに対して立ち向かう」という行為です。
よく混同されてしまい勝ちですが、「非行」というのがあります。
万引き、暴走族、いじめ・・・・・・青少年の非行は古今東西の社会問題でしょうが、これらは、「弱さ」が根源にあるのではないでしょうか?
その「弱さ」はどこから生まれてくるのか?
原因の一つとして「父性の欠落」が挙げられています。
これは20年以上も前から言われていることですが、「良い子良い子」と、頭を撫でられながら、厳しく叱られることもなく、オトナになってしまった人たちは、「苦言や指摘」に対して、精神的に極めて弱いという傾向がある模様です。
結果、自分にとって耳に心地良い発言をする相手だけを選り好みして付き合うようになっていきます。
そのなれの果てが「裸の王様」ってワケですね。。。
実際の年齢と、精神的な成熟度はあまり関係がないように感じます。
そして「相手のシアワセを願った苦言や指摘」は、「自我の脅威」として受け止めて「誹謗中傷」と解釈されてしまいます。「自分のシアワセ(利益)を願って言っているのか」「自分の不幸(または既得権益の損失)を願って言っているのか」を、翻訳する回路が存在していないのです。
これは、仕事でもそうだし、釣りでもそうだと感じます。
たとえば、社内で新たな仕組みを導入することになりました。必ずといっていいぐらい反対勢力が出てきます。そして、あらゆる理屈で「そんなの意味がねえ」と主張します。その人が自分に不利益が生じるかもしれないと感じたら、その抵抗はさらに激しくなります。
周囲の仲間内での釣りでも同様でしょう。未知の領域に踏み込もうとしたときに、必ずといっていいほど「そんなの趣味じゃない」とか「意味がない」とか始まります。その人自身が出来そうもないと感じたら、その抵抗はさらに激しくなります。
釣りのフィールドでもそんなことがあるかも知れません。
「キャッチ・アンド・リリース区間」という、論理的な仕組みを川に導入しようとしたときに、必ずといっていいぐらい反対勢力が出てきます。そして、あらゆる理屈で「そんなの意味がねえ」と主張します。その人が自分に不利益が生じるかもしれないと感じたら、その抵抗はさらに激しくなります。
それら反対勢力の相手をいちいちするのは、極めて面倒くさいし、時間と労力の無駄って話もあります。そんなのの相手をしているヒマがあったら、もっと生産的な活動をすべきであるという意見もあります。
で、「当たらず障らず、面白おかしくアハハノハ~♪」って、過ごすために集まった集団が「仲間」であるとすれば、「相手のシアワセを願い、様々なリスクを負って苦言・提言」を言い合えるのが「親友」だと思うのです。苦言・提言をした結果、時には半年、1年と口も聞かず顔も合わせず、という状況もありますが、時間の経過とともに、今現在付き合っている友人たちは、そういったことを何度も繰り返しながらも、理解を深め合ってきているのです。
某C&R区間にのめり込みすぎて身を滅ぼして以来、色々と苦労が絶えませんが...
「訪問する釣り人のシアワセを願って」やっていたことですが、「日々是戦場」の週末でしたし、「自分のシアワセ」なんてなかったし、毎週末ストレスを溜め込みに行っていたようなもんですね。
それでも「世の為ヒトのため」って言い張ってると「偽善」とか言われちゃいそうですがそんなことはありません(笑)、「やってらんね!」というのが本音ですね(苦笑)
C&R区間に理想を描いて鼻息を荒くしている釣り人のみなさん、どうそご自愛くださいませ..
......まぁ、でも、そんな友人達にめぐり合えたワタシは、シアワセ者だと思います。
