
え~。。。各地では渓流解禁を迎え、渓流好きな釣り師のみなさんはそわそわと落ち着きがなくなっているみたいですが、のほほ~んと、まったりと、過ごしております...^^
さて、なんかお堅い表題ですが、これって混同しちゃうヒト、意外と多いんですよね。
よく、「男の中の男」だとか「女の腐ったヤツ」だとか、性別にまつわる表現がありますけど、そのような言動を頻繁に使用するヒトに対し、ではさて「男らしさ」とは何ぞや?「女らしさ」とは何ぞや?という問いを投げかけても、誰もが納得できるような回答ができるヒトは少ないのではないでしょうか?
また、「他人に苦言を呈する」難しさと同様かそれ以上に「他人を褒める」という行為は難しいものです。前のエントリーで「その言葉は誰のため?」というような話がでてきましたが、「褒める」ときに「自分」というものが少しでも入っていたら、「自分が褒められたいから他人を褒める」という「おべんちゃら」になってしまいます。
さらに「褒める」という行いは、第三者から「そのヒトに真贋を見極める眼力があるかないか」を評価されてしまい、褒める相手を間違えた日には、確実に信用を失ってしまいますね。以前のことですが、他人に「ウソまでついて」おべんちゃらを使っていたヒトがいました。言葉だけならよかったですが、よせばいいのに数字をつかってしまい、バレバレで、かつ、そのウソが利害に関わることでもあったので一気に信用失墜って感じになりました。
「褒める」=「相手の言動を素直そのままに評価」
「おべんちゃら」=「自分が褒められたいという欲求を満たすために打算で行う評価」
「苦言」=「相手の言動を素直そのままに評価」
「批判」=「自己防衛本能から発する相手への評価」
まぁ、ともに、「他人の言動を評価する」ということには変わらないので、その行為が直接的なのか間接的なのかという次元の話ではないでしょうな。
「罪を憎んでヒトを憎まず」という言葉があります。
「言動に対する評価」はそのヒトの人格に関わるものではありません。
ところが、行為への評価と人格評価を混同して解釈してしまうヒトもいますね。
なぜならば、「思考の主体が感情に支配されている」からなんですよね。
ここで「カオスとロゴス」の話しになってくるんですけど・・・
ニンゲンは「感情をもった生物」ですが、物事に「感情」が混入してくると、「何が正しくて何が間違えなのか」ということが、ぐちゃぐちゃになって、ワケの分からないことになってしまいます。つまり「論理的な思考の欠如」「カオス」「無明」の世界が好きなヒト、自分の非を隠したいヒト、こういう傾向にありますよね。
じゃあ、「論理的な思考」を「ロゴス」を、ってことになってくるんですけど、「論理的な思考」は「無感情で血も涙もないような冷たい世界」という印象を持っている人も少なくないですけど、決してそんなことはなくって、「色々なことを整然と整理整頓して考えていくこと」が、結局は相手のシアワセになり、自分もその恩恵をちょっと受けることができるかもネってことなんですが。
で、「男」だとか「女」だとか言う場合に、思考・言動の主体が、「理論」である場合に「男らしい」、「感情」である場合に「女らしい」ってことになるんじゃないでしょかね。
ですから、実際の性別が男性であっても、思考・言動が女のヒトもいれば、実際の性別が女性であっても、思考・言動が「男」であるヒトもいるわけです。
よく、「自己中心的なお山の大将」を「男の中の男」と称したりするヒトがいますが誤用ですね。
「オマエのものはオレのもの。オレのものはオレのもの」って感じで、ワタシのクーラーボックスを持っていかれそうになったことがありましたが、そのお方の無意識の世界に、「典型的なノビタの皮をかぶったジャイアン」が存在していたわけですね...A(^_^;
またファン限定記事などにうじうじと愚痴を書きこぼしてて周囲の同意を求め、慰めてもらって安心感を得るような行為や、ぜんぜん関係ない話をしているのに、まるで自分のことを言われているかのような被害妄想的な錯覚に陥るような、自意識過剰状態の男性に対して「女の腐った...」とか言う場合もありますが、これは実際の女性に対して失礼にあたりますね。
誰とは言いませんが、日々日課のように偵察にきている方、ご苦労様です。
直接お会いして、1対1の対面でじっくりお話ししましょか?
まあ、いずれにしても感情論は生産的ではないし、感情に左右されているヒトに対して、ものの道理に関する理解を求めても無駄な努力でしょうし、確かに時間と労力の無駄使いですな。
これは日常生活でもそうだし、ブログやインタネットの世界も然り、釣りの世界も同様、特に釣りは趣味の世界ですから、そのヒトの嗜好が思考を司っていますし、要は快楽の追求ですから、「おべんちゃら」も「褒める」に化けて、「苦言」も「批判」に化けてしまいやすいですね。
たとえば、C&R区間(以外の川も同様)にて、サカナをキープしている釣り人になんか言うと、即座に「批判」と受け止められてしまいますよね。まずは仕組みに対する理解を求めることが先決であるわけだし、所詮は「お願い」レベルなワケだし、言われたエサ釣り師にしてみれば、自分の釣りのスタイルを、ほかの釣り人から押し付けられたことになっちゃいますわな。フライマンの皆さん気をつけてくださいまし。
このほかにも様々なケースがありますけど、それらの具体例は、必要な人々や機関には既知のこととして、もう十分すぎるほどに伝わっていますから、あえてここで列挙するまでもないでしょう。
この話の続きは、「落ちこぼれの心理」へと続けようかな。。。
