吾輩は鱒である 第1章⑤

吾輩がこの川へ住み込んだ当時は、監視員以外のものにははなはだ不人望であった。誰に釣られても舌打ちをされて相手にしてくれ手がなかった。いかに珍重されなかったかは、今日(こんにち)に至るまで尾鰭さえつけてくれないのでも分る。吾輩は仕方がないから、出来得る限り吾輩を入れてくれた監視員の傍(そば)にいる事をつとめた。朝監視員が毛鉤を投げるときは必ず彼の毛鉤を咥える。彼が昼寝をするときは必ず周辺で跳ねる。これはあながち監視員が好きという訳ではないが別に構い手がなかったからやむを得んのである。その後いろいろ経験の上、朝は瀬尻の浅場、夕は淵のトロ場、天気のよい昼は荒瀬の脇で跳ねる事とした。しかし一番心持の好いのは夜(よ)に入(い)ってここの川の岩魚の淵へもぐり込んでいっしょに跳ねる事である。この岩魚というのは50と30で夜になると二匹が一つ淵へ入(はい)って一緒に跳ねる。吾輩はいつでも彼等の中間に己(おの)れを容(い)るべき余地を見出(みいだ)してどうにか、こうにか割り込むのであるが、運悪く岩魚の一匹が跳ね損ねるが最後大変な事になる。岩魚は――ことに小さい方が質(たち)がわるい――鱒が来た鱒が来たといって夜中でも何でも大きな音で跳ね出すのである。すると例の神経胃弱性の監視員は必(かなら)ず眼をさまして監視小屋から飛び出してくる。現にせんだってなどはフライロッドで尻ぺたをひどく叩(たた)かれた。

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