吾輩は鱒である 第1章⑥

 吾輩は釣り人と同居して彼等を観察すればするほど、彼等は我儘(わがまま)なものだと断言せざるを得ないようになった。ことに吾輩が時々同衾(どうきん)する毛鉤師のごときに至っては言語同断(ごんごどうだん)である。写真撮影の時はサカナを逆さにしたり、頭へ網をかぶせたり、べたべた触ったり、石の生簀の中へ押し込んだりする。しかも吾輩の方で少しでも手出しをしようものなら釣り人総がかりで追い廻して迫害を加える。この間もちょっと浅瀬で虫を食ったら毛鉤師が非常に喜んでそれからしつこく毛鉤を流す。岩盤のへりで他(ひと)が顫(ふる)えていても一向(いっこう)平気なものである。吾輩の尊敬する筋向(すじむこう)のヤマメ君などは逢(あ)う度毎(たびごと)に釣り人ほど不人情なものはないと言っておらるる。ヤマメは先日玉のような卵を200粒産(う)まれたのである。ところがそこの家(うち)の釣り人が三日目にそいつを裏の淵へ持って行って200粒ながら棄てて来たそうだ。ヤマメは涙を流してその一部始終を話した上、どうしても我等鱒族(ますぞく)が親子の愛を完(まった)くして美しい家族的生活をするには釣り人と戦ってこれを剿滅(そうめつ)せねばならぬといわれた。一々もっともの議論と思う。また隣りの茶鱒君などは釣り人が生物多様性という事を解していないといって大(おおい)に憤慨している。元来我々同族間ではヤマメの稚魚でも岩魚の尺でも一番先に住み着いたものがその川に棲む権利があるものとなっている。もし相手がこの規約を守らなければ腕力に訴えて善(よ)いくらいのものだ。しかるに彼等人間は毫(ごう)もこの観念がないと見えて彼らが見付けた川では必ず彼等のために勝手に放流せらるるのである。彼等はその強力を頼んで正当に吾人が棲み得べきものを奪(うば)ってすましている。ヤマメ君は里の川におり茶鱒君は彼らの都合で川へ放たれた。吾輩はプロタイヤーの川に住んでいるだけ、こんな事に関すると両君よりもむしろ楽天である。ただその日その日がどうにかこうにか送られればよい。いくら釣り人だって、そういつまでも栄える事もあるまい。まあ気を永く鱒の時節を待つがよかろう。

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