吾輩は鱒である 第1章⑨

これだけは誰が見ても疑うべからざる事実と思う。しかるに今監視員のフライを見ると、黄でもなければ黒でもない、灰色でもなければ褐色(とびいろ)でもない、さればとてこれらを交ぜた色でもない。ただ一種の色であるというよりほかに評し方のない色である。その上不思議な事はアイがない。もっともこれは寝ている虫を模したのだから無理もないがアイらしい所さえ見えないから盲鱒(めくら)だか寝ている虫だか判然しないのである。吾輩は心中ひそかにいくら先人でもこれではしようがないと思った。しかしその熱心には感服せざるを得ない。なるべくなら食わずにおってやりたいと思ったが、さっきから食い気が催うしている。身内(みうち)の筋肉はむずむずする。最早(もはや)一分も猶予(ゆうよ)が出来ぬ仕儀(しぎ)となったから、やむをえず失敬して胸鰭を前へ存分のして、尾びれを押し出してバッチャンと大(だい)なるライズをした。さてこうなって見ると、もうおとなしくしていても仕方がない。どうせ監視員の予定は打(ぶ)ち壊(こ)わしたのだから、ついでに瀬尻へ行って虫を食べようと思ってのそのそ泳ぎ出した。すると監視員は失望と怒りを掻(か)き交ぜたような声をして、瀬頭の岩から「この馬鹿野郎」と怒鳴(どな)った。この監視員は人を罵(ののし)るときは必ず馬鹿野郎というのが癖である。ほかに悪口の言いようを知らないのだから仕方がないが、今まで辛棒した鱒の気も知らないで、無暗(むやみ)に馬鹿野郎呼(よば)わりは失敬だと思う。それも平生吾輩が彼のネットへ入る時に少しは好い顔でもするならこの漫罵(まんば)も甘んじて受けるが、こっちの便利になる事は何一つ快くしてくれた事もないのに、捕食に立ったのを馬鹿野郎とは酷(ひど)い。元来釣り人というものは自己の力量に慢じてみんな増長している。少し釣り人より強いものが出て来て窘(いじ)めてやらなくてはこの先どこまで増長するか分らない。

Author: フライ地蔵

あまりにも釣れないため、ボーズを通り越してお地蔵さんになってしまいました.../(^o^)\ しかも、サカナが釣れない主原因は諸所の雑用が多くて、ほとんど釣りに行けないという.../(^o^)\