悪竿論-4

釣りクラブといふと皆で仲良く、メデタシ/\と考へて、なんでもさうでなければならないものだときめてゐるが、仲間割れなどゝいふものも大いに趣味のあるもので、第一、皆で仲良くメデタシ/\よりも、よつぽど退屈しない。ほんとだ。

 先日、雑誌の広告を見てゐたら、ビルダーとあるフライマンの釣りレポを、二人が釣りをながら、これといった釣果のなかつた故に神聖な釣りだと書かれてゐた。をかしな神聖があるものだ。釣果のない釣りが清らかだなどゝはインチキで、魚神様も仰有(おつしや)る通り行きすぎのスレマスにちょっかい出しても釣りに変りはない。釣り人はみんな釣りを犯してをり、みんなインヘルノへ落ちるものにきまつてゐる。地獄の発見といふものもこれ又ひとつの近代の発見、地獄の火を花さかしめよ、地獄に於てフライフィッシングを生きよ、こゝに於て必要なものは、本能よりも知性だ。いはゆる良竿といふものは、知性なき存在で、知性あるところ、ブランクスは必ず悪竿となる。知性はいはゞ人間性への省察であるが、かゝる省察のあるところ、思ひやり、いたはりも大きく又深くなるかも知れぬが、同時に衝突の深度が人間性の底に於て行はれ、ぬきさしならぬものとなる。

※画像はイメージです

iPhoneから送信