悪竿論-6

だいたい釣りクラブなどゝいふものは、偶然なもので、たまたま知り合つたがために集まっているにすぎず、知らなければそれまで、又、あらゆる人間を知つての上での選択ではなく、少数の周囲の人からの選択であるから、絶対などといふものとは違ふ。その心情の基盤はきはめて薄弱なものだ。年月がすぎれば退屈もするし、欠点が分れば、いやにもなり、外に心を惹かれる人があれば、顔を見るのもイヤになる。それを押してのフライフィッシングであり、矛盾をはらんでの人間関係であるから、平安よりも、苦痛が多く、愛情よりも憎しみや呪ひが多くなり、関係の深かまるにつれて、むしろ、対立がはげしくなり、ぬきさしならぬものとなるのが当然なのである。

 フライマン同士は苦しめ合ひ、苦しみ合ふのが当然だ。慰め、いたはるよりも、むしろ苦しめ合ふのがよい。私はさう思ふ。釣り人の人間関係は苦痛をもたらす方が当然なのだから。

 魚神様は姦淫するなかれと仰有るけれども、それは無理ですよ。神様。人の心は姦淫を犯すのが自然で、人の心が思ひあたはぬ何物もない。人の心には翼があるのだ。けれども、からだには翼がないから、天を翔(か)けるわけにも行かず、地上に於て巣をいとなみ、夫婦となり、姦淫するなかれ、とくる。それは無理だ。無理だから、苦しむ。あたりまへだ。かういふ無理を重ねながら、平安だつたら、その平安はニセモノで、間に合はせの安物にきまつてゐるのだ。だから、良竿などゝいふのは、ニセモノ、安物にすぎないのである。

※画像はイメージです
※坂口安吾 悪妻論のパロディ

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紹介 フライ地蔵

あまりにも釣れないため、ボーズを通り越してお地蔵さんになってしまいました.../(^o^)\ しかも、サカナが釣れない主原因は諸所の雑用が多くて、ほとんど釣りに行けないという.../(^o^)\

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